自分だけは誠実でありたいと人は思うと思います。
しかし、振り返ってみると誠実では無かったという事にふと気づく事があると思います。
例えば、人を信じると言う行為でもそれを考える事が出来ます。
我々、特に日本人は性善説で生きている事が多いと思います。
もっとも、現実の世界はさまざまな悪事・悪人に満ちています。
悲惨な事件も毎日のようにテレビで見かけます。
しかし、まず人を信じようとする心はそれだけで美しいと感じます。
裏切られる事や、どんなに試みても相手に心が通じない事もあると思います。
それでも【信じる】。
それ自体が美しい誠の心だと思います。
だから、たとえ相手が自分と同じように誠実では無くても、とにかく相手を信じてみたいという時点で、少なくとも自分だけは誠実であったと評価できると思います。
これに対して、はじめから人を疑ってかかるのは、世の中の悪事を警戒してのことです。
確かに、お人好しでは、この世を渡っていくことは出来ないと思います。
特にこれまで人を信じて痛い目にあった人はなおさらです。
しかし、人を疑うというのは、相手に対する信頼をはじめから放棄していると言えます。
それは言い換えれば、心の誠実さを捨て去り、自らを偽りの世界に導いていくのだと思うのです。
世の中の全てを信じれなくなってしまっては、いったい何を心の拠り所にして生きていけばいいのでしょうか。
それでも【信じる】。
あなたの職場は【信】じていますか?あなたの事を、皆さんの事を。
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