日本人は儲けようとすると罪悪感を持つと言います。
対価の値付けに情緒も加味するからだと思われます。
しかし一方では、豊かな財産を求めています。
この一見矛盾した心の葛藤が日本人の奥ゆかしさを生み出しているようにも思えます。
心の拠り所として我々は過去の人々に学ぶ事が出来ます。
「手柄と名声、豊かな財産と高い地位、そういったものを求める心を解き放つ事が出来れば、それで凡人の境地を脱する事が出来ます。また道徳仁義といった世俗の価値観を解き放つことが出来れば、やっと聖人の境地に入ることが出来ます」
菜根譚ではこのように教えてくれます。
ここで否定されているのは世俗の価値観です。
誰もが求める「功名」と「富貴」。
だがそれにいつまでもとらわれていては、やがて世間の垢にまみれてしまいます。
大切だと説かれる「道徳」と「仁義」。
だがそれだけでは、世俗の立場を越えて聖人の領域に入る事は出来ない。
つまり、これらの言葉の由来は何か?を考える必要があります。
「徳」が語られるようになった時代を迎えたのはなぜか?と同じ問いではないでしょうか。
人が【道】を失うと、ことさら「徳」について語られると言います。
なるほどその通りだなと感じます。
職場の雰囲気を表すのに【道】の要素は大事なんだと気付く事が出来ます。
【道】とは本来の姿を意味しています。
職場の本来の【道】とは何を意味するのでしょうか?
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