渋沢栄一は明治維新前後にこの世に生を受けました。
徳川家康に感銘をうけている点は良いのですが、少々誇張しすぎな感じがして鼻につくのが印象的です。
しかし、江戸時代から大きく世の中が転換されていく中で、徳川家を過去のものとせずに、その事象の中に物事の原理原則を見ようとすると思えば、その印象も変わって見えます。
【適材適所】の手腕において、徳川家康に勝るものはいないという渋沢栄一の着眼点には感銘を受けます。
ただし、渋沢栄一と徳川家康が違う点は私心にあるか無いかという点です。
渋沢栄一は適材が適所で働き、その結果としてなんらかの成績を上げる事は、その人が国家社会に貢献する本当の道であり、それは渋沢栄一が国家社会に貢献する道ともなると考えたのです。
徳川家康の私心とは徳川家による治世を目指した事を示しているのでしょう。
なるほど、そういった意味では豊臣政権下で盤石な体制を敷き、世の中を納める事も可能だったと思えます。
徳川政権は徳川家の私心といえばそうなのかもしれませんね。
渋沢栄一は、この信念のもとにその人が活動する場は自由でなければならないという事を実行しました。
「世の中は持ちつ持たれつなもの。自分も奢らないようにし、相手も侮らず、お互いに信頼し合って隙間風の吹かないようにと私は努めている」
渋沢栄一は秘蔵っ子として、優秀な人材を手元に置いておく事もしませんでした。
常に世の中への貢献を思えば当然の事なのでしょうね。
我々は何が【適材適所】であるかをもう一度問うタイミングに来ているのかもしれません。
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